実家が食堂をやってましたし、僕は長男ですから後を継ぐということはなんの疑問もなく思ってました。フランス料理に惹かれた理由はですね。テレビの「料理天国」と「天皇の料理番」っていう本ですね。やっぱり田舎にいてそういう料理を口にしたことがないっていう憧れと人がやっていないことをやりたいっていう、少しミーハーなところもあったかなって思いますね。卒業後は東京の3軒のフランス料理店で仕事をしました。それぞれタイプの異なる店で、それぞれ吸収するものはありました。私としては35歳ぐらいまでは都心にいたいという気持ちはありましたけれど、28か29歳の頃でしたか母親が他界したんですね。で、家(うち)は親父よりお袋のほうが店をやる才覚があって、親父は料理人だったんですけれどそれをサポートするという感じでやっていたんです。親父ひとりでやれる?って言ったら「やれない」って言ったので、帰るなら今だろうなって決めたんですね。 小さくてもいいからオーベルジュを経営したいと思ったのは大島へ帰って来てからですね。まず家業を継いで、そこにフランス料理を加えてレストランをやりだしたわけです。地元のお客さんをメインにするとどうしても洋風居酒屋みたいな使われ方もするんですね。商売していくうえでね、本質をやっぱり一生懸命やりたいし、でも、食っていくためには・・・。そのあたりで、いろいろ迷いましたね。このままでいいかな、と。島に戻って3年ぐらいした頃ですか、あるきっかけで関西テレビの取材番組に出させていただいてから、ぼちぼちフランス料理の注文が安定してきたんです。この頃からもっとお客さんに来てもらうためには食事をして、ゆっくりくつろいでいただけるオーベルジュかなと思いはじめました。これからの時代はそうじゃないとだめだと思うんです。ま、ちょうどその頃大島大橋も開通してですね。その効果で売上も伸びたものですから、借金するのもこの時期かなと思ってですね。思い切ってこの場所に移転し、新しく店をつくったんですよ。前の店よりもこの店のほうがゆったりしていますし、夢を少しだけでも形にしたという気持ちはあります。満足度があがって、お客様には喜んでもらっているんじゃないかな?って思っています・・・そのあたりはちょっとまだ未知数ですけどね。 −Q:フランス料理をこういった地方で提供する難しさはどこにあるのでしょう?− 島の人たちは「誕生日会」とか、そういった“ハレ”の日に使ってくださいますので、地元の人も喜ばせながら、街の人たちにあったメニューづくりなどを試行錯誤しながらやっている状態ですね。ま、お客様の電話番号でメニュー内容を少し変えたりね。たとえば地元の人は新鮮な魚を食べ慣れているので魚を出してもあまり喜ばないんですね。ですから肉類をベースにメニューを考えます。箸をセットしているのも、やはりね「ナイフ、フォークの使い方わからん」っていう方もいらっしゃいますんで。ま、マナーは二の次で楽しんで食べてくださいって感じですね。お客さんに来ていただいてなんぼという世界ですからね。 −Q:自分の料理を都心で(もっと集客力の大きいところで)試してみたかったという気持ちはないですか?− 「もったいないから街中に店を出しなさいよ」って言われたりもしましたけれどね。う〜ん、やっぱりここで生まれ育って、もう子供も生まれたですしね。ま、そういったお話には魅力もありましたけれど、フランスの田舎なんかでもオーベルジュって普通にありますよね。ですから横並びではなくこの大島でなんとかやれないかなって。 −Q:ちなみにおいくらで宿泊できるのでしょうか- 二人泊まってお一人1万5000円です。もちろん食事つきです。安いかも知れませんが、このあたりの民宿さんだとイセエビとかついて1万2000円とかいう価格ですからね。それを思えばちょっと高いかなっていうところはあるんですけれど。 −Q:料理を作ることはお好きでしょ?− いかにお客様に喜んでもらえるか、という作業をやっていると思っています。ある素材に関してもっともおいしい部分をお客様にいかに食べていただくかということですよね。でも、こういうことが実感としてわかったのはこうやって独立してからですね。 将来の夢ですか?とりあえず借金が返せるように軌道にのせるってことですね。それと宿泊設備をあと3棟とバーやテラスのようなくつろげる空間をつくって、大規模ではなくてもいいからこじんまりとやりたいな、ということですか。
(取材・文)コンピトゥム事務局 須山泰秀