“彼ら”、辻調グループ校の 卒業生たちはまさに
“いたるところ”にいます。

彼らの従事する仕事が外食産業である限り、
もちろん都会における就業率あるいは開店率が
圧倒的です。

しかし、中には地方において
自分の夢をかなえている人たちもいるのです。

どうして彼らが地方を選んだのか。

都会とは異なる大変さがあり、
反面都会では得られない充実感があると思います。
そのあたりのことを現地取材で聞いてみました。
 
  
 
 
茨城県東茨城郡茨城町大戸3445-12
TEL.029(292)8633



 

東京上野駅から特急に乗り約1時間で
水戸駅 (茨城県)に着く。
駅前の風景は都心とそれほど変わらない。
同じデパート、同じファーストフード店、同じカフェ等が
目につくが、駅前から車で約30分も走るとさすがに
田園風景が広がってくる。
やはり水戸も地方都市のひとつである。
人家もない冬枯れの田畑と道路。
そんな風景の中に一軒家の
フランス料理店『ラ・ブルゴーニュ』がある。
客席26席、本格的なフランス料理を提供している。
スタッフはオーナーシェフの原田重利さんと奥様の二人。

 



 
 実家が水戸市内で食堂を経営しているんです。でも、私は食堂だけはやりたくなかったので、東京へ出るために大学へ行ったんです。大学卒業後は金融機関、いわゆる信用金庫に勤めました。でも、自分の肌にあわなかったので30歳で辞めました。で、急転回、料理の道に進むことにしたのです。辻調へ通って、フランス校まで行きました。フランスから帰国してからは現場で6年間ほど仕事をしました。自分の店を持つというのは料理をやろうと決めた時から考えていましたし、家内も私も水戸出身ですのでこちらへ戻ることは考えていました。オープンは’89年です。もう13年になりますね。

−Q:このような立地条件で本格的なフランス料理を出すということはやはり難しいのでしょうか−
 ええ、厳しいと思いますね。周りから洋食のメニューを入れてくれって言われますよ。とにかくフランス料理が浸透していませんからね。そうは思っていなかったんですけれど店をやって実感しました。開店当初、ポタージュを出したら、まったく食べないで、ずっと待ってね、痺れを切らして帰ってしまったお客様もいましたよ。全品が同時に出てくると思ってらっしゃったんでしょうね。後はライス。「ライスはないんですか」って方もね。ですからオープンして半年ぐらいはライスもおいたんですよ。でも、私の料理に合わないのでやめました。都会では日常的にフランス料理店へ行く方も多いと思いますが、このあたりではいわゆる“ハレ”の日の料理なんですよ。

-Q:お客様は水戸市内からいらっしゃる方が多いのですか−
 そうですね。一度食べていただくとリピートしてくださる方が多いです。客層は年配の方、時間がある方が多いですね。車でしか来れない所ですから移動と食事の時間を考えると急ぎのお客様は来なくなっちゃいますよね。フランスだとこんな田舎でもしっかりと客が入るじゃないですか。それを目指してやったはずなんですけれど、理想と現実のギャップですね。(笑)

-Q:料理のことを少し聞かせてください。−
 自分の料理の基本はどこまでもエスコフィエだと思っています。エスコフィエの中にはいっぱい得るものがあるように思いますね。ただ、以前は「フランス料理」をつくるんだって力んでいたところがありますが、最近は肩の力が抜けたというか、自分で好きなようにつくろうって思ってきました。

-Qメニューなどはお二人で決められるのですか-
 味のチェックは家内にしてもらいます。(奥さん:昼間はどちらかというと女性が主なんですね。ですから女性の味覚、目から私がいったんチェックします。私が「いいな」と思うまで何度も修正しますね。)

−Q:将来の方向性とかってありますか−
 規模を小さくしてもいいから自分の料理をやっていきたいですね。こだわりは素材とエスコフィエですかね。今後も料理の路線は変えるつもりはないです。ここまできちゃうともう変えることができないでしょう。普通のサラリーマンなら定年間近の年齢ですからね。フランス校の同期生がそれぞれ都心部でとても頑張っているのでね。負けてられないですよ。
 
  
 


長野県東諏訪郡原村17217-3649
TEL.FAX.0266(74)1248




 

長野県八ヶ岳の麓に位置する原町。
標高1200メートル。
白樺林の中に別荘が点在している。
この白樺林の中に『藜庵』がある。
敷地400坪。旅館でもなく、ペンションでもない。
おいしい料理を食べることができ、
数は少ないがとても居心地のいい部屋があって
宿泊もできるヨーロッパのオーヴェルジュを
日本の風土、さらに美意識に合わせたら
こうなるように思える。
この『藜庵』を経営、運営されているのが
ともに 50代の稲垣夫妻。
 部屋数は5室。 各部屋がメゾネット形式で
1階には24時間お湯をあふれさせている
各部屋専用の露天風呂、洗面所。
2階は居間とベッドが置かれた寝室になっている。
各部屋にはそれぞれ「七竈(ななかまど)」
「小紫」「躑躅(つつじ)」「山萩」「雪柳」
という名がつけられている。
これは露天風呂の外にしつらえられた
坪庭に植えられた樹木の名前である。

 
 


   
   私は美術系の大学を卒業して東京都の区役所に勤めていたんです。主人は工業デザイナーでした。二人とも長野県出身ではないんです。以前から二人でペンションでも経営したいね、とは話していました。でも、洋風ペンションの波はもう去っていましたし、和風のものが好きだったので最終的にこういう形になったんです。私が国立校へ入ったのはテレビ番組の影響ですね。通っている1年間は、もう楽しくて、楽しくて仕方なかったですね。卒業後はどこかお店で現場経験を積みたかったんですけれど、ここにいい物件が見つかってしまいましたからね。でも、ほんとうは現場経験は積んだほうがいいと思いますよ。

Q:実際に開業にあたって問題はありましたか?-
 一番の問題は役所関係でした。環境規制がけっこう厳しく、そういったことで時間がけっこうかかったりしました。あとは業者を見つけるのもけっこう大変でしたね。コネもありませんから、自分たちで開発するしかなかったんです。今は諏訪市まで買出しに毎日出かけています。魚の入手はけっこう大変なんですが、それは主人に行ってもらってます。
 
 


 
  −Q:実に素敵な内装ですね− 
 建材は群馬県の農家(2軒分)を解体したものをこちらまで運んだんです。まったくの廃材は松本家具の職人の人に頼んで、椅子や卓に作り変えていただきました。全体のトーンとかは二人の趣味ですね。
 それぞれの季節で良さがありますよ。冬、東側にそびえる阿弥陀岳の雪を抱いた壁面が夕陽に照り返って真っ赤に染まるんですけれど、これはほんとうにきれいです。とても美しい季節です。春もいいですよ。このあたりは標高がけっこう高いでしょ。ですから4月末頃に梅と桜が同時に咲くんですよ。夏は緑がきれいですしね。ええ、部屋には冷房はいりません。夜は寒いぐらいですから。秋は紅葉ではなく、黄色になるんですよ。少しポイントがあったほうが色がきれいなので、紅葉する樹木を数本植えてあるんです。

-Q:料理のコンセプトはどのようなものですか-

 料理はできるだけ旬のもの、この土地でしか味わっていただけない素材を使ったものをお出ししています。料理は私一人でつくります。内容は月毎に変えるようにしています。今でも国立校の先生にご相談して、ご意見をもらっているんですよ。朝食は主人の担当です。魚の燻製とかをつくって、おかゆとかと一緒にお出ししています。デザートは娘がつくってくれています。東京で大学に通っていたんですが、こちらへ一緒に来ちゃったんですよ。本人はよかったって言っています。充実感があるって。

−Q:将来の『藜庵』は?−
 私たちぐらいの年齢層のお客様が「ほっ」とできるようなそんな空間になればいいと思いますね。8月のお盆の頃と11月が混みますね。週末は季節を問わず客足が多いですね。リピーターの方が多いのはありがたいですね。一番多い方で4回来ていただいています。中には「誰にも教えたくないな」なんて言ってくださる方がいたりします。でも、3回に1度ぐらいは宣伝してね、なんて言っているんですよ(笑)。九州から来ていただいたお客様もいらっしゃいますよ。宿泊なしで食事をして、お風呂にも入っていただくこともできるんです。2004年は7年ぶりの「諏訪の御柱」の祭事ですから、ものすごい人出になると思いますね。

−Q:充実した生活をされているようなご様子ですね−
 そうですね。年中無休で営業していますので、もちろんお客様に来ていただくということもありますが、日々の充足感は強いですね。
 
  
 
 
大分県直入郡直入町長湯8464-4
TEL.FAX.0974(64)1444




 

大分県湯布院よりさらに山奥へ2時間ほど行くと
“日本一の炭酸水”と折り紙つきの長湯温泉がある。
“素朴”という形容詞がぴったりの山間の温泉郷である。
炭酸水の湧き出す温泉というのは日本でも数箇所しかなく、
中でも長湯温泉の炭酸泉は良質とされている。
泉質はドイツのものに近く、
この長湯がドイツのバート・クロチンゲンという
鉱泉の町と交流が深いのもうなずける。
長湯の温泉街に入る手前の林道に
森のパン工房『ヴィントWint』はある。

 
 


   
   実は子供の時から料理人になりたかったんですね。で、高校2年生の頃に地元であった説明会に願書を取りに行って、緑の封筒(調理)1部とピンクの封筒(製菓)1部しか残っていなくて、先に友達が緑を取ってしまったので、仕方なくピンクを取ったんです。それを読んでいる間にお菓子に興味が湧いたということですかね。フランス校卒業後は福岡の製菓店に勤めました。自分の店を持つことは大阪にいる頃から考えていましたね。最初は街中にということも考えていましたけれど、街中は競争が激しいですよね。それにどうせおいしいパンとケーキをつくるんだったら自然の中でつくったほうがいいと思いだしたので、知り合いの紹介でここに決めたんですよ。でも、最初は土地の人に溶け込むのが大変でしたけれどね。私、福岡出身なもんで。皆さんやさしいし、親切なんですけれど、ね。どこか「よそ者」って感じは最初ありました。ずっとここで生まれ育った人たちばっかりですからね。方言も違いますし。

 福岡の製菓店は小売店を何軒も持つ大きな店でしたので、工場(ラボ)での仕事だったんです。ですから一種の流れ作業で、たとえば生地を焼く仕事だとするとほぼ1年ほどはそれだけをやり続けるわけです。どんなお客さんが買っていくのかも見えない。やっぱりお客さんの顔を見ながら仕事をしたいな、と思っていました。そういう思いがあったのでラボから店頭が見えるように設計したんですね。どんなお客さんが買っていくのかが見えるように。

−Q:どういったお客さんが多いのですか?-
 最も多いのは水を汲みに来る方々ですね。この辺りは何箇所か天然炭酸泉水が湧き出ていますから。近在の方は誕生日ケーキとかに使っていただいていますね。ですから平日はそんなにつくりません。やはり土、日が勝負ですね。

 店のコンセプトは“健康と無添加”ですね。テラスにそれ貼っていたんですが風で飛んじゃって(笑)。最初は本場のパンをつくろうと思って一生懸命頑張ってやっていたんですけれど、2年しないうちにちょっとあることがあって本場よりも安全なやつをつくろうっていうコンセプトに変えたんです。温泉に来るお客様とか、水を汲みに来る方っていうのは自分の身体のこと、健康のことやカロリーのこととか、アレルギーのこととかを考えてらっしゃる方が多いのでね。実はうちの子供も少しアトピー体質で、同じような悩みをもつ親御さんもいらっしゃるし、「卵入っているのかしら?」とか「添加物が入っているのかしら?」という不安をもってらっしゃるので。パンには温泉水を使ってるんです。飲料泉なので飲んでも大丈夫ですから。「血の薬」というのが長湯の温泉水キャッチフレーズですからね。酵母は小麦粉自体に含まれる自然種というもので、それ以外の添加物は一切用いていません。バターは発酵バターで、チョコレートはフランス産のカカオを用いています。そういったことが理解されなくても、おいしいものをつくっていればそれはわかってもらえますから。ジャムは自家製ではないんですがこの町の方が作られていて、うちのコンセプトと同じで無添加なんですよ。それ以外にも「卵アレルギー」の方などで、自分でいうのが苦手な方にもわかるように簡単な成分表を店頭に貼っています。

 全部ひとりでつくっていますんで、早いときは朝の3時起きですね、平日は4時頃のこともありますけれど5時になることはまずないですね。休みの日以外で5時とかいうともう大寝坊ですからね。あがるのは18時には閉店で19時頃にはあがれます。定休日は火曜日と水曜日で、以前はその日にケーキの宅配をやっていたんですけれど、水を汲みに来るお客様とかが電話かけてこられて「もう一度パンが食べたい」っておっしゃるんですよ。それがあまりに多いので、今までパンの宅配って考えたことがなかったんですけれど、切り替えているところなんです。

 こんな仕事ですから身体の管理は大切ですね。家族もいますから休めないです。そりゃそんなに働くのが好きではないですけれど、食っていくためには働くしかないでしょう。仕事としては充実しています。日・祭日に関してはあと3種類ほどパンの種類を増やしたいんです。けっこう取材も受けますし、テレビ取材も来た事があります。これって街中ではあり得ないですよね。こんな風に遠いところでやっているから注目されるんですよね。

 将来的にはイートインのスペースを広げて、お客様がゆっくりとできる空間が欲しいですね。将来の夢ですか?あまり言うと町の人に怒られるかも知れませんが、温泉にやって来たついでにうちに立ち寄るのではなくて、うちに来られたついでに温泉に入って帰られるようになりたいですね。ま、それまで温泉のついででもいいですから買っていただければいいです。店名の「風」というのはですね。一発、長湯に新風を吹き込んでやろうと…(笑)。
 
  
 
 
長崎県西彼杵郡大島町1383-4
TEL.FAX.0959(34)2003
http://member.nifty.ne.jp/akadama/



 

 長崎県の西端に大島
(面積:13キロ平方メートル、人口:約6000人)
と呼ばれる小さな島がある。
現在は島と本土を隔てる海峡に
立派な道路橋が開通したおかげで近くなったらしい。
それでも大村空港(長崎)から車で約2時間余りを要する。
以前はフェリーが唯一この島へ渡る手段であった。
この島に3代続いた食堂『あかだま食堂』の
長男として中村浩徳さんは生まれた。
東京のフランス料理店で修行の後、帰郷、家業を継ぎ、
フランス料理も提供する店へ変身させた。
数年前に現在の場所に移転し、
宿泊できるオーベルジュ・スタイルのレストランに。
『あかだま』という店名はもちろん
代々受け継いだ食堂名である。

 

 



   
 

 
 実家が食堂をやってましたし、僕は長男ですから後を継ぐということはなんの疑問もなく思ってました。フランス料理に惹かれた理由はですね。テレビの「料理天国」と「天皇の料理番」っていう本ですね。やっぱり田舎にいてそういう料理を口にしたことがないっていう憧れと人がやっていないことをやりたいっていう、少しミーハーなところもあったかなって思いますね。卒業後は東京の3軒のフランス料理店で仕事をしました。それぞれタイプの異なる店で、それぞれ吸収するものはありました。私としては35歳ぐらいまでは都心にいたいという気持ちはありましたけれど、28か29歳の頃でしたか母親が他界したんですね。で、家(うち)は親父よりお袋のほうが店をやる才覚があって、親父は料理人だったんですけれどそれをサポートするという感じでやっていたんです。親父ひとりでやれる?って言ったら「やれない」って言ったので、帰るなら今だろうなって決めたんですね。

 小さくてもいいからオーベルジュを経営したいと思ったのは大島へ帰って来てからですね。まず家業を継いで、そこにフランス料理を加えてレストランをやりだしたわけです。地元のお客さんをメインにするとどうしても洋風居酒屋みたいな使われ方もするんですね。商売していくうえでね、本質をやっぱり一生懸命やりたいし、でも、食っていくためには・・・。そのあたりで、いろいろ迷いましたね。このままでいいかな、と。島に戻って3年ぐらいした頃ですか、あるきっかけで関西テレビの取材番組に出させていただいてから、ぼちぼちフランス料理の注文が安定してきたんです。この頃からもっとお客さんに来てもらうためには食事をして、ゆっくりくつろいでいただけるオーベルジュかなと思いはじめました。これからの時代はそうじゃないとだめだと思うんです。ま、ちょうどその頃大島大橋も開通してですね。その効果で売上も伸びたものですから、借金するのもこの時期かなと思ってですね。思い切ってこの場所に移転し、新しく店をつくったんですよ。前の店よりもこの店のほうがゆったりしていますし、夢を少しだけでも形にしたという気持ちはあります。満足度があがって、お客様には喜んでもらっているんじゃないかな?って思っています・・・そのあたりはちょっとまだ未知数ですけどね。

−Q:フランス料理をこういった地方で提供する難しさはどこにあるのでしょう?−
 島の人たちは「誕生日会」とか、そういった“ハレ”の日に使ってくださいますので、地元の人も喜ばせながら、街の人たちにあったメニューづくりなどを試行錯誤しながらやっている状態ですね。ま、お客様の電話番号でメニュー内容を少し変えたりね。たとえば地元の人は新鮮な魚を食べ慣れているので魚を出してもあまり喜ばないんですね。ですから肉類をベースにメニューを考えます。箸をセットしているのも、やはりね「ナイフ、フォークの使い方わからん」っていう方もいらっしゃいますんで。ま、マナーは二の次で楽しんで食べてくださいって感じですね。お客さんに来ていただいてなんぼという世界ですからね。

−Q:自分の料理を都心で(もっと集客力の大きいところで)試してみたかったという気持ちはないですか?−
 「もったいないから街中に店を出しなさいよ」って言われたりもしましたけれどね。う〜ん、やっぱりここで生まれ育って、もう子供も生まれたですしね。ま、そういったお話には魅力もありましたけれど、フランスの田舎なんかでもオーベルジュって普通にありますよね。ですから横並びではなくこの大島でなんとかやれないかなって。

Q:ちなみにおいくらで宿泊できるのでしょうか- 
 二人泊まってお一人1万5000円です。もちろん食事つきです。安いかも知れませんが、このあたりの民宿さんだとイセエビとかついて1万2000円とかいう価格ですからね。それを思えばちょっと高いかなっていうところはあるんですけれど。

−Q:料理を作ることはお好きでしょ?−
 いかにお客様に喜んでもらえるか、という作業をやっていると思っています。ある素材に関してもっともおいしい部分をお客様にいかに食べていただくかということですよね。でも、こういうことが実感としてわかったのはこうやって独立してからですね。
 将来の夢ですか?とりあえず借金が返せるように軌道にのせるってことですね。それと宿泊設備をあと3棟とバーやテラスのようなくつろげる空間をつくって、大規模ではなくてもいいからこじんまりとやりたいな、ということですか。


(取材・文)コンピトゥム事務局 須山泰秀