ル・トロワ・ルージュ(90.10開業)
岡田 三朗
(調理15期生)
愛媛県支部支部長
愛媛県松山市
北久米町1094-3
TEL.089(958)7088





(奥様がサーヴィス担当)
http://www6.ocn.ne.jp/~akaiyane/


 
  都会ではなく、地元に  
 
 もちろんフランス料理の料理人を仕事として選んだわけですけれど、人間としての生き方などを考えるようになったんですよ。要するにただ料理をしているだけじゃなくて、やっぱり料理は生きていく糧として生活を支えるものであって、都会でありがちな朝から深夜まで料理だけをして生きていくというのはね。店をやるにしても自分が生きていくペースにあわせてできれば一番いいんで、都会でやれば、お客様の絶対数も多いので展開するのも早いですよね。でも、この松山で、ましてや市内から離れたところでやるとすごくゆっくりなペースなんですよ。でも、ま、僕の生き方がスローなほうが向いているのかなって思うんですよ。

 12年間コツコツとやってきてようやく仕事だけに縛られるのではなくて自分の時間もとれるようになって、家族に対しても仕事からまったく離れた時間がとれる。そういう生き方が自分には一番あっているのかな、と。だから続けていられるのかなって思いますね。

 
  歩んできた道  
 
 卒業後は東京代官山の『小川軒』で4年間ほど勤めまして、それから半年ほどパリに行き、星も付いていない小さなレストランを何軒かまわりました。それから家の事情で松山に帰って、2年ほどたってまた東京のほうへ出て、熊谷喜八さんの店に少しお世話になりました。

 その頃麻布台に『ラ・テール』というお店があって、そこに南仏にある三つ星『ロアジス』で部門シェフだったフランス人の料理人が来ていて、フランス語が少しできる料理人を欲しがっていると聞いたので、なんとしてでも行きたいと思って熊谷さんに気持ちを伝えたら「それは絶好のチャンスだからぜひ行きなさい」と言われてその店に移りました。

 小規模の店でしたから、ほとんどマン・ツー・マンですよ。ですから彼から『ロアジス』の料理はすべて教えてもらいました。この店で働いた1年ほどは中身が濃かったです。毎朝築地市場にシェフと買出しに行き、戻って料理作ってという毎日でしたからね。で、彼が近くのレストランに引き抜かれて、僕もそこにいる意味がなくなったんです。

 その頃、ちょうどたまたま地元松山の製菓会社からフランス料理店をやってくれないかという依頼がきまして、だったら今まで自分が得てきたものを地元でためそうと思ったんですよ。郷里でフランス料理をやりたい、30歳までには自分の店を持ちたいというのは以前から思っていたことですから。この会社の社長は寛大な方で「好きなことをやっていいから」と言ってくださったんですね。だったらぜひやってみようと思ったわけです。この会社にはシェフとして7年間勤めました。

 
  都心と地方の差 −お客様の味覚を作る−  
   
 でも、松山に帰ってきた当初はなかなか大変でした。東京のお客様に受けていた料理はまったく受けませんでしたからね。こちらのお客様にとったら初めてのものばかりなんですよ。ですから残される方が多かったです。

 考えたあげく辻調時代に学んだ料理で美味しいと思ったものを提供することにしました。するとお客様が残さないようになったんです。

 たとえば魚だったらポシェするよりムニエルにして、ソースはソースで別につくっておいてそれをかけるようにする。魚だけ食べても十分塩をしていますから味があるので、ましてやソースをかけてあげると「美味しい」と言ってきれいに食べていただけました。それをシャンパン蒸しにしたり、白ワイン蒸しにしたりすると「魚が美味しくない」と言われるんですよ。こちらの人にはそういう魚の食べ方の習慣がないからなんです。それでフランス料理のことをほとんど知らなかった自分が初めて口にして美味しかった料理を出そう、って決めたんですよ。

 そして、その料理を気にいっていただいたお客様が何度もリピートしてくださるようにしていきました。で、リピートしていただけるお客様を徐々にそういった方向にもっていくようにしました。たとえばポシェするにしてももう30分くらい前に塩をしておくと魚にしっかりと塩が入り込みますから、火が通ってすぐにあげてしまえば塩がぬけないわけです。

 ですから魚をポシェしてつくる“シャンパン蒸し”や“白ワイン蒸し”などもこうすれば食べていただけるわけです。こういう風にお客様の味覚を慣れさせていくわけです。そうするとリピート客は僕のつくった料理しか食べることができなくなってきます。お客様の感覚を「この人がつくる料理は美味しいんだ」って方向に徐々にもっていくということです。

 
  独立 −お客さまがレストランを育てる−  


 こうやって7年間かけて自分のスタイルを作り上げていきました。その頃、テレビや雑誌の影響で“郊外の一軒家レストラン”というのが全国的にブームになり始めまして、松山市の中心街でなくても7年間、これだけのお客様に支持されてやってきましたので、もうやれるんじゃないかなと思いました。郊外だと家賃も安いし、静かな環境の中で自分のペースで仕事ができるかなと思いまして現在の場所に13年前にオープンしました。

 もちろん最初は四苦八苦しながらでしたけれど、そのうち固定客だけでも維持はしていけるという状態になったんですよ。今はこういった地方の方も都会に出て行ったり、海外に旅行したりする機会が多いじゃないですか、それで東京や大阪、あるいはフランスなどでも有名なレストランで食事をされてくるんですよね。「あそこの料理は美味しかった」「あれは美味しかった」と話されるのを聞くのがこちらの情報になるわけですよ。もうそういう料理を出しても大丈夫なんだ、ということになるわけです。

 田舎だからこんな料理しかないだろうな、じゃなくて、田舎でもぜんぜん都会と変わらないもの、ひけをとらないものがあるじゃないかっていうような店に変えていこうと考えたんです。

 そうするとおのずから食器に関しても、サーヴィスに関しても変えていく必要が出てきます。思いますにサーヴィスというのはその人の気遣いなんですよね。私も東京などへ赴いてけっこう食べ歩きをしますけれど、確かに食器もいい、料理もいい、でも満足するサーヴィスが少ないです。

 ライバルっていうのは他の店でもなんでもない。それはお客様なんですよね。お客様の求める以上のものを提供していく。常に進歩続けるということが大切なことだと思います。ファッションと同じで料理には流行があります。でも私たち作り手はその流行を追いかけていたのではだめだと思います。

 
  素敵な店の作り方 −人と人の信頼関係−  
 


 思いますに仕事ってやはり自分が楽しみながらやっていないと続かないと思うんですよ。たとえば最近真っ白いお皿が流行っているじゃないですか、白い皿ってどんな料理でも映えるって言われていますが作る側から言えばいつも白い皿では飽きるんです。


和食なんかでも会席料理などの場合は料理もそうだけど、器も料理の一部なんですよね。だからフランス料理だって、料理もさることながらその料理が盛り付けてある器に対して「わっーこれ素敵なお皿ね」っていう評価をいただくと作る側も「この料理にはこの皿のほうがひきたつかな」とか「あれにはこの皿のほうがひきたつかも知れない」などと考えるのも楽しみのひとつですから。

 結局料理だけではなく、器、カトラリー、雰囲気、それにその店のスタッフの言葉づかい、あるいは動き、顔つき、姿勢すべてがやっぱり同じレベルで高い水準を持っていなかったらお客様には伝わりません。お客さんがそのお店に食べに行くということは“時間”を満喫するわけですから、居心地をよくしなければいけないと思います。

 よくテレビなどで、シェフが怒鳴りちらしたりしている番組があるでしょう。確かに私たちもそうやって育ってきたわけですけれど、よく考えてみれば決してそれがいいとは思わないんですよ。厳しさというのは大切だとは思うんですけれど、料理をつくる人間がそんなにカリカリやっていたらその空気は必ずお客様に伝わります。それにいい料理はできないと思うんですよ。

 作ることが楽しく、ただお客様に美味しいものを食べていただくことだけに集中して料理をつくらないとこちらの気持ちはお客様には伝わらないと思うんですよ。そして、お客様がリピートしてくださる。それがうちの店では一番大切なことだな、って思っています。

 店を持つということは最初は現実的に技術を習得するということが必要なんだけれど、実際に店をもってしまうと人間性というものがとても大切になってくる。ですからそれまでにいろんな勉強をしていくか、人間の幅をつけるということが大切ですよね。人と人の信頼関係が大切なんでしょうね。

 
  −地元で就職しようとするものたちへ−  
 


 若いうちは大規模な店で仕事をして、縦横の人間の付き合いを体得したほうがいいと思いますね。地方は小さな店が多いですから、作り手と二人になってしまうケースが多いんですよ。

 確かに“マン・ツー・マン”になって技術的にはとても有利な条件なんですけれど、忙しくなったりするとそこのシェフは新人にでも自分と同等の力を要求してしまう。もちろんそのレベルまでできるだけ早く到達してもらわないと店としてもしんどいんですよね。ただ、あまりに時期尚早にそれを要求してしまいます。そこに無理が生じる。で、結局は辞めてしまうという状況が多いんですよ。

 ですから都心にあって客の回転も早く、スタッフも数多くいる店で力をつけてから地元に帰ってもらいたいですね。地方と都市はまったくちがいますからね。都心の店はすべてがとにかく速い。それを経験していなかったら、地方だからいい、ではなくて田舎でもそれができる人間じゃないとやっていけないと思いますね。

 私たちの世代がこの世界に入った27、8年前っていうのは地方にはいい食材が入ってこなかったんですね、ところが今は東京と同時に地方にでも外国の食材でも入るわけですよね。ここでは海の幸は地元に新鮮なものがあるし、フランスからの食材も空輸で届きますから、食材ということに関しては「地方だから」というのはまったくなくなりました。ですから地方でも十分やれると思います。

 
  今後  
 
 気負いなく自分の仕事ができるということがベストなのでそういう風にやっていくつもりです。私はコースの中にひとつテーマを持っているんですそれは「意外性」と「驚き」なんです。お客様に感動と驚きをもたらせる要素を必ず入れるようにしています。

 地方は平均所得が高くありません。そんな中でもやはり高級食材を体験してみたいという方のために5000円のメニューの中にもたとえばフォアグラやトリュフを使った料理を入れています。作り手側の自己満足にならないで、お客様に満足していただくことが大切だと思います。