予約がとれない、行列が出来る、そして、
「こんな場所で!」と 驚くような立地で
客足の絶えない店があります。

そういった“繁盛店” を
経営している卒業生たちが数多くいます。

“繁盛店”に法則ってあるのでしょうか?

今回は、フランス料理店の定番的立地からは
ほど遠い都内の下町で、
もっとも予約のとりにくい「食卓」を提供する
『ラミティエ』と、

千葉県の新興住宅街で、
客足の絶えることのない製菓店
『オペラ座』に
スポットをあてました。

“繁盛店のワケ”を感じてみてください。

 

 
 

東京都新宿区高田馬場
2-9-12  柴原ビル 1F
TEL & FAX
03-5272-5010

オーナーシェフ
宮下 清志
(調理27期生)
長野県出身
 

 
 狭い店である。客席20席、隣の食卓の会話が耳にしっかりと聞こえるほどのスペース。この客席に対して厨房は比較的ゆったりととってある。オーナーシェフの宮下氏は自分の身体の大きさに合わせたのだろうか。「前に働いていたところの厨房が狭かったんですよ。それでできるだけ広いスペースをとりたかったということがあります」しかし、その中で4人のスタッフが立ち働いているのを目にすると少し手狭に見える。その分、厨房の熱気が客席まで伝わってくる。いい香りも客席に流れる。お客とスタッフの一体感から作り出される雰囲気、『ラミティエ(友情)』という店名どおりの親密感。「実に美味しそうな店」。このパワーみなぎる厨房から提供される料理も内容も、そして価格共に実にパワフルである。ランチ・メニューも(¥1000)、ディナー・メニュー(¥2000)も有に二人分はあろうかと思われるボリュームである。そして、その味ときたら…。コストパフォーマンスの議論はこの店に限っては無意味のように思える。

 連日満席、週末の予約は2、3週間先までむずかしい。お客の中にはかの有名なジョエル・ロビシュションをはじめ、レストラン業界の人も多いと言う。これほど人を惹き付ける魅力の秘密はどこにあるのだろう?

 美味しさ?気軽さ?たっぷりとした分量?それとも安さ?

 東京の代表的な学生街のひとつ、ラーメン店の激戦区といわれる高田馬場、フランス料理店としての立地としては異色ともいえる。この人気店『ラミティエ』はどのように誕生し、オーナーシェフの宮下氏はどんな人物なのかを見ていくことにしよう。

 その表情を見ているだけでなんとなく食欲がわいてくるという人物が時にはいる。いわゆる「おいしそうな顔」と言われる人だ。宮下氏はこういった人のひとりだと言えよう。こんな宮下氏が“天職”かも知れない料理人の道に進むことを決めたのは高校時代。「高校の頃は毎日柔道で明け暮れていましたね」これが体格のよさの秘密だ。そのまま大学へ進学して、柔道を続けることも考えていた。「でも、柔道だけでは食べていけないしって悩んでもいたんですよ。その頃にテレビで料理番組を観たんですよ。これでしたね」なんておいしそうなんだろう。食べてみたい。食の技術を身につければ食いっぱぐれもないし、きっと食べたこともないものも食べることができるだろう。現実的な直感とおいしいもの好き。いい料理人になるためのふたつの大きな資質がすでに芽生えていた。そのテレビ番組「料理天国」を担当している辻調理師専門学校に進学する。当時、すぐに買い求めた“フランス料理スペシャリテ”は今でも店内の本棚に飾られている。

 「辻調時代はできるだけ両親の負担を軽くしたかったのでアルバイト進学で、学校もバイトもしっかりと両立させました」辻調時代にもっとも印象に残った授業は?「すべて印象的でしたけれど、中でも故辻静雄校長と当時ホテルオークラの総料理長であった故小野正吉先生の講習は今でも鮮明に覚えています」

 卒業時には皆勤賞、卒業フェスティバルでは努力賞を獲得。根っからの努力家である。

 卒業後、広尾『オー・プティ・パリ』で3年、『バサバ・パマル・ラデイネット』で2年就業後、フランスに2年間研修。その間、パリで『スールタン』という小さな店の料理長を任される機会にも恵まれる。ここでは今の店の原点である仕入れからすべて任せられたことが経験となる。この間にフランス人が普通に食べる“フランス料理”に目覚め、そんな料理が提供できる「食堂」感覚の店を持つことが夢となる。帰国後は勤務するが自分のイメージしている店にはほど遠く32歳で独立を決意する。

フランス「料理店」ではなく、フランス「食堂」を

フランス料理は本当に日本に根付いているのだろうか。「根付く」という言葉を「庶民レベルにまで浸透」という意味で考えるとまだまだなのかも知れない。やはりフランス料理は「高く」「肩がこる」というイメージでとらえられているのではないだろうか。

 宮下氏は「田舎で生活している僕の両親なんかが気軽に食べに来れるような店」をつくろうと考えた。「フランス料理につきもののイメージを取り去りたかったんです。フランス料理は敷居など高くない、普段着でふらっと入り、食べれるものなんですから」、確かに『ラミティエ』での食事は居酒屋での食事より安くつき、居酒屋と同じほど気軽。しかし、提供している料理はまぎれもなくフランス料理である。だが原価率は居酒屋のようにはいかない。「中には原価率70%近いものもあります。例えばメイン料理でオマール海老一匹や季節に応じてトリュフやフォワグラも出します。半端な量じゃないですよ」これほどしっかりしたフランス料理をこの価格で提供してはたして儲けはあるのだろうかと不安になってしまう。「仕入れのルートの問題かも知れません。うちのような規模の店の場合、毎朝、買出しに行くのは時間的にもけっこう大変なんです。それより業者とのパイプをしっかりと確立するほうが効率的なんですよ。この場合、価格の比較ができるように複数の業者としっかりとつきあうことが大切ですね。安定性と信頼関係をつくるってことです。ま、野菜に関しては僕は恵まれていまして、両親が生産してくれています。試行錯誤の上、現在ではズッキーニ、モロッコインゲンなども完璧な状態のものを送ってもらっています。

 それに実家周辺の農家から美味しい素材を安く入荷できるんです。ジビエに関しても叔父が猟師ですから、季節がくれば現地直送で入手できますしね」恵まれた素材の入手ルートと店の回転数(昼は1回転半〜2回転、夜は1回転半)による薄利多売。「でも光熱費を払い、スタッフの給料を支払ったら、ほとんど何も残らないですよ(笑)。

 料理人には大きく分けて二種類のタイプがあると思うんです。まず、自分のやりたいように料理をつくる人、もう一つはしっかりとビジネス優先で考える人です。僕は今のところ前者なんです。この店に対しての、そして僕の料理に対してのお客様の“信用”を得たいのです。だから何度も来ていただきたい。何度も来ていただいて少しは儲けさせていただこうかと思っているんです(笑)」

 よく理解できる。それにしてもそれだけでこの価格設定はできるのだろうか。「初期投資もできるだけすくなくしました。まず開店資金は手持ちと国民金融公庫から借りいれてつくりました。店舗は不動産屋に一任したのですが、僕が若いし、有名でもないしであまり熱心ではなかったんですね。だから自転車に乗ってほうぼう見てまわって結局上京してから10数年生活したこの場所に予算に見合う物件を見つけたんです。内装業者にもなめられましたね。だから肝心な個所は任せましたけれどそれ以外は手作りですよ。このテーブルも自分でつくったんですよ。結果的に初期投資が少なくてすみましたよ(笑)。確かにこれも料理の価格を押えることのできる理由にはなっていますね」

 よく聞いてみればこれといった秘策はないようだ。いつもある種の偶然にいい意味で翻弄されてきた。言うならば宮下氏の唯一確実な戦略・戦術とは「誰でも気軽に入れる街のフランス食堂をつくる」ということと「とにかく美味しいものを気軽な価格で食べてもらいたい」というこの二つにつきるのではないだろうか。

 隣の食卓で実に楽しげに食事をしていた女性4人組に聞いてみた。

 私たち会社が近くにあって、この店が雑誌に掲載されていたので一度食事に来たのがきっかですね。最初から印象はとてもグッドだったです。ね?」「そう、何よりも料理が美味しいし、ボリュームたっぷりだし(笑)ね。得した感じがします。私なんかすぐにメールで友だちにも紹介しちゃいました」

 私もそう。それに気取りがないからふっと来れるしぃ。こんな値段で本格的なフランス料理が食べれるんですよ。最高です(笑)」。

 今夜も満席の『ラミティエ』。すべての客席から笑いが絶えない。これほど店と一体感のある店が東京の下町、高田馬場の一角にある。いよいよフランス料理も日本の庶民の中に入り始めている。
 

 
 
 
千葉県柏市つくしが丘
4-2-3
TEL : 0471-71-1213
FAX : 0471-71-1215

代表取締役
鈴木 荘市
(調理20期生/
フランス校調理1期生)
千葉県出身
 
     
 取材当日はあいにくの雨、おまけにお昼に地震という悪コンデション、こんな日はいくら繁盛店でも暇ではないか、と訪問、見事に期待を裏切られました。午前中の取材から客の途切れがない状態が閉店まで続きました。新柏駅より歩いて訪れた時にはほとんど人影もなく閑静な住宅地にどこからこれだけの人が集まるんだろうと素朴な疑問が生まれました。きっとそこには何か理由があるのでしょう。興味津々の取材をさせて頂きました。

 マンションの1階にありお店の周りは小さい鉢植えがいっぱい。店内は入口横にギフトコーナー、正面にショーケース、その奥には4卓20席のイートインコーナーがあります。店内からはラボ(工房)が見えます。


この道に入ったきっかけは?

 実家は農家なんです。小作人で貧乏だったので小さい頃の夢はなんであれ「社長」になりたかったですね。中学時代から料理人の仕事にあこがれていたんですが、とりあえず高校に進学しました。で、バイトのひとつにレストランがあり、先輩に「食いっぱくれがないし、美味しいものが食べれる」と言われたのがこの世界への第一歩です。一人暮らしがしたくて大阪の辻調理師専門学校に入学。どちらかというと真面目ではなかったですね。このままじゃまともに就職もできないと思ってフランス校へ行くことにしたんです。きっと1期生だったから行けたのだと思いますよ(笑)。

 フランス校へ行っても最初はやはりあまり勉強には積極的ではなかったです。なかなか性根が変わらないって言うんですか(笑)。変わったきっかけは僕に金がなかったってことですね。夏のヴァカンスはみんなどこかへ旅行にでかけるんですよ。僕は金がなかったんでシャトー(フランス校)に残ったんですね。居残り組は「賄い」を作るんですね。これですよ。これで料理に精進してフランス人の先生からソースの味が素晴らしいと誉められました。素直に感激しましたね。本場の味を覚えなさいと教わったので、もう一度だけ親に無理をいって援助してもらい、各地のレストランを食べまくりました。これが僕のターニングポイントになりましたね。

 
それほど料理にのめりこんだ人が、なぜ製菓の世界に?

 最初に就職したレストランとの相性が悪かったんですよ。料理はやらせてもらえずに使い走りみたいなことが多くて、当時は僕も若かったから「こんな業界もうやめだ!」って思ったんですよね。

 一時は白衣を脱いでしまうことも考えましたけれど、ここまで援助してくれた両親に申し訳ないと思い、同じ白衣を着て仕事をする製菓の世界に進んだんです。お菓子のことなんか何も知らない僕がです。なんで製菓業界では仕事が続いたかはわかりませんね。やっぱり相性ですかね(笑)。

 京都の『マール・ブランシュ』、博多『16区』などで仕事をして、故郷の千葉で自分の店を持ちたいなって思いだしました。て言うといかにもって感じでしょ。本当は神戸でやりたかったんですよ。

 でも、結婚して子供ができた瞬間に親の責任に目覚めましたね。それに自分の両親も年老いていくしね。大きな家族で暮らしていけたらなんて思い出したんですよ。それで千葉県って思いまして。銀行の不良債権処理でいい物件がたまたま見つかったんですよ。いろいろ計算しましたけれど最終的には「賭け」ですね。商売は最後は「賭け」ですよ。

開業にあたっての思惑というのは?

 今の社会は車社会でしょ。店の前に車を停めても文句のいわれにくい場所を探してたんです。車で買いに来る客を獲得したかったんですよ。この店の前の道は枝道で死んでいますからその点では抜群の条件だったんですね。

 分の商圏を何キロ四方にするかっていう計算も必要でしょうね。一般的に菓子屋の場合1キロ四方で計算しますけれど、ここでは無理ですね。人口が少ない。最低でも2キロ四方を設定しないとだめです。次に2キロ四方をクリアするにはその商圏内にある菓子屋を全部リサーチしなければだめですよね。僕自身が行くことは顔が割れているので無理です。家内と僕の弟の奥さんにこそっと調査に行ってもらいました。

 そりゃ、すべて調べますよ。すべての価格、一人の客が買う量、すべてです。そう、まるで「企業スパイ」。価格が一番大切ですね。一応他店にそろえたほうがいいでしょうね。じゃあ差別化はどうするかって言うと、僕の場合は素材に賭けました。

 マーケットの分析はあまり細かいデータまで入手しても個人ではなかなか分析出来ません。だから大まかな数字だけ掴んで、あとは船井総研の本ですよ。この本の分析計算式に当てはめて、うん、こんなもんだろうと。商売は自分ひとりで強がって出来る人と、皆に支えられて出来る人のふた通りがあると思います。僕は後者の方だと思うんです。僕は自分に能力がないとか劣ってる部分は誰かに助けてもらうという考えです。

 
素材へのこだわりはアイテムにどのように生かされていますか?

 卵は産みたての新鮮なものを地元の養鶏場から、生クリームは用途に応じて2種類を北海道と九州から仕入れています。1年中暖かい九州で育った乳牛は生草を食べる期間が長く、カロチンを多く含んだ生クリームが出来、ムースに最適なんです。

 北海道の厳しい寒さの中で育った乳牛からはコク、乳臭さがある生クリームが出来るので、ショートケーキのように生クリーム自体を食べる場合に最適です。バターも北海道よりチルド直送のブランドものを使用。

 トッピング用のフルーツは生産者の顔がわかる産地直送のものを使い、旬の味覚を大切にしています。可能な限り、地元の生産者のものを用います。一番美味しい時期のものを入手出来るし、地元での人と人の輪が広がるという利点も生まれます。職人としてはこれら新鮮食材を使えるのは究極の贅沢だと思っているんです。


 
職人として?

 ええ、僕は自分はあくまで“職人”だと思っています。それにどこまでいっても百姓のせがれなんですよ。だからできるだけ“生産者の顔”が見えるお菓子をつくっていきたい。

 農業しているとエンドユーザーの声が聞こえないんです。一生懸命作った作物が美味しいのかまずいのかって声が彼らの耳には届かない。もし、そんな声が僕のつくる菓子を通して彼らに届けばとても嬉しいと思うんです。それにお客様も誰がつくったのかが見えているほうが安心でしょ。

 
繁盛店の“ワケ”を感じていただけましたでしょうか?
商売の成功には数値がつきものです。
フレンチであれ、イタリアンであれ、製菓であれ例外ではありません。
しかし、料理や菓子にはもっと「人間くさい」面があるのではないでしょうか。
数値の“ワケ”だけではなく、人の“ワケ”も大切な気がします。

 最後にフランスの料理人ミシェル・ブラス氏の
“成功”に関してのコメントに耳を傾けてください。

 「自分自身を見失わないことが大切だ。もっともきれいな“星”は、
何度も店にやって来てくれ、私の料理を愛してくれるお客様です。
そのためにすべての能力を出し尽くす必要があるのです」。