第6回日本料理分科会より  
 
 
     
 

 


 


蛤しんじょ

 私たちの下積み時代は、上下関係がはっきりしていて厳しいものでした。何をやっても叱られました。鍋を洗って先輩に渡す。ゴンとなぐられる。しっかり磨き直して渡す。また、なぐられる。今度こそと思って渡しても、またなぐられる。どこが悪いのかさぱり分からないでいると、一言、「拭いて渡さんかい」。こんなのは序の口で、他にもひどいことがいろいろありました。布団の上げ下ろし、歯ブラシやタオルの用意、高下駄をたわしで洗う等々、小間使いのように先輩のお世話をしなくてはなりませんでした。 19歳の時、つくづく日本料理がいやになって、JALの機内食を作る仕事を得てパリに行きました。1時間あるお昼休み、下働きのアルジェリア人が洗い物はすべてやってくれる。今までの生活とは打って変わって、夢のような日々でした。契約期間が切れる頃、自分が本当に好きなのは、フランス料理か日本料理かをじっくり考えました。結果、出た答えは日本料理。
 帰国後、何度も何度も頼み込んで兆さんに雇っていただきました。下積み時代の経験がその時に役立ちました。かつて、自分が理不尽な思いをしたので、今、下の者には決してそういう思いをさせないように努めています。個人的にはシンプルな料理が好きなのですが、フランス・イタリア・中国などの料理から学ぶことも多く、食べ歩きでふと思いつき、アレンジして自分の料理にすることも少なくありません。日本料理以外ではどのように素材を使っているのか、その特徴をどう生かしているのかとても勉強になります。このような意識を持つことは、新しい料理、時代に合ったものを生み出していく上でとても大切なことだと思っています。


あわび胡麻あんかけ

     
 
 
     
   


チーズ豆腐

 

 

 


 この仕事で一番大切なのは、素材のことを理解するということです。上の人に言われたことを鵜呑みにするのではなく、そのものの性質、特徴を理解しておくのです。そうすれば、新しいものをどう作っていったらいいのかが分かります。例えば、小麦粉のグルテンは30分くらいおかないと粘りが出ません。このことが分かっていれば、鴨の治部煮を作る時、粉を打ってすぐに煮汁に入れてはいけないことが分かります。ゆでたての空豆とゆでて時間のたった空豆とどちらがおいしいか、素材や調理法によって、時間がたったらどのくらい味が落ちるのか、自分で食べてみて、レポートしておくようなことも必要です。この業界は忙しく、先輩に逆らえず、給料が安いと決まっていますが、私は、人より長く調理場にいられるのだと、良いほうに考えて仕事をやってきました。修業中は失敗することも大切です。失敗するとその原因を考えようとするからです。また、「肉や魚に触るな」などと上が言うと、下の者は萎縮してしまいます。人を育てようとするならば、のびのびと仕事をさせるようにするべきです。仕事が楽しくないと前に進まないからです。
 心構えとしては、鯛でも鰯でも、まずかったらお金を取ることはできないというふうに思っておかなければなりません。どこよりもおいしい食べさせ方を考え、当り前の値段をつけておけば、自然とお客は入ってきます。お客が望んでいるのはおいしさです。余裕があれば、演出を考えたらいいのです。一生懸命にもてなしたいという気持ちがあれば、ベニヤ板で作った店でもお客は入るはずです。100の店があれば、100のスタイルがあっていいと思うのです。

椀 酥仕立