1953年アメリカのコネティカット州生まれ。
'70年代、「ヌーヴェル・キュイジーヌ」が一世を風靡している時代にフランスのグラン・シェフ(ポール・ボキューズ、ロビュション、ジラルデなど)のもとで素材を大切にする料理を学び、帰国。'87年に自らの店をオープンさせて以来、「ザ・ニューヨーク・タイムズ」誌最高の4つ星、'94〜'96年には「ザガット・サーヴェイ」で前人未到の29点を獲得。現在、押しも押されもせぬニューヨークのスターシェフである。
ブーレー氏の料理は、“完成されたフュージョン・キュイジーヌ”とも呼ばれ、ヨーロッパ、インド、東南アジア、日本などの多様な料理要素を、フランス料理の技法で見事に融合したもので、独創性もさることながら、料理としての完成度が高く評価されている。フランスの料理界からも「新たなる刺激」として注目されている。


 
 
 
   
   
 
オーストリア生まれの27歳。父親がレストランを経営していたため早くから料理になじみ、ザルツブルクで見習いをした後、その近郊の2つ星「カルル・ルドルフ・オバウアー」に入った。19歳でミュンヘンの「タントリス」に移り、ハンス・ハースのもとで1年半働く。その後、パリの「ギー・サヴォワ」でフランス料理に習熟した後にアメリカへと渡り、ウォルフガング・パックのレストラン「パロ・アルト」のスー・シェフを務めた。そしてデーヴィッド・ブーレー氏と出会い、「ダニューブ」のシェフとして迎えられ、レストランの計画段階からブーレー氏に協力した。

 
 
 
   
   
 
約7年前からブーレー氏の店でお菓子、パンを担当してきた。昨年のテロの後にブーレー氏の店を離れ、Johnson&Wales Universityのサウス・カロライナ校で、製菓とベーカリーの理論と実技を教えている。 

 
 
 
 「Good mornin’ chef !」本校は1972年のポール・ボキューズ氏から始まって現在まで延べ60数名の有名料理長を招聘してきました。フランス以外の国の料理長が来るのは久しぶりの事。かつてミュンヘンからヴィッツィヒマン氏、ヴィンクラ−氏、ロンドンからモジマン氏といった方々を招きましたが、アメリカ合衆国からは初めてです。

 今、フランス以外の国の料理長が世界的に注目を集めています。これはフランス料理がフランスだけにとどまらず世界中で進化している為、と言えるでしょう。

 6月24日から28日にかけて計7回の講習会を行いました。新学期が始まったばかりで学生には少々難しい料理でしたが、ブーレー氏の料理に対する熱意や考え方などは十分理解できる、有意義な授業だったと思います。今回は「ダニューブ」のシェフ、マーリオ・ローニンガー氏と、パティシエールのカースティン・クレバーさんも教壇に立ち、とても迫力のある講習となりました。

 今ニューヨークでは“SUSHI”“HAMACHI”“SASHIMI”“PONZU”など日本食の名がそのまま普通に使われています。NYのトップシェフ達もこぞってこれらの食材をメニューに取り入れ、ジャパニーズ・フレンチとして定着しています。かつての怪しげなものも登場した「カリフォルニア・キュイジーヌ」の時代を経て、今の料理は完成の域に達していると思います。

 今回ブーレー氏は日本食の研究も兼ねての来日。英語の達者な、近藤一樹・日本料理教授の料理指導も精力的に行われました。

 ブーレー氏一行の熱心さには驚き! 
とにかく時間が許す限り、貪欲に学びたいという事で、過密スケジュールになるほど。

 そして市場見学。ブーレー氏の師匠の一人でもあるポール・ボキューズ氏からの教えで「キュイジーヌ・デュ・マルシェ」を実践している彼にとって、大阪中央市場、黒門市場、京都の錦市場、デパートの地下は興味津々のスポット。その様子は「トイザラス」に来た子供のようで、目を輝かせて、いつも時間オーバー。とにかくタフで行動的なトップシェフ。その中から新しい発想のイメージが生まれるようです。

 アメリカンドリームを成し遂げ、更なる夢を追い続けているデーヴィッド・ブーレー氏。こちらまで彼のエネルギーをもらった楽しい経験でした。

 
 
〈西洋料理主任教授 西川 清博〉
 

的鯛のパセリ風味ムース包み、
 シャンパン・ キャヴィア・ソース
John Dory in a Parsley Cloud with Caviar Sauce


ザルツブルガー・ノッカルン
Salzburger Nockerln