普段は、穏やかな美しい海なのだが・・・
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昨年暮れ、スマトラ沖の大地震によって突如発生した大津波はタイにも大きな被害を及ぼしたことは周知の通りである。日本人観光客も多く訪れるタイ南部のリゾート地、プーケット県付近の被害は絶大で、完全な復興には相当な時間を要するだろうとの事である。さすがのタイ人も今回ばかりは“マイペンライ”といきそうにも無い。
プーケットは観光の他に、良質な漁場を持つ島という一面を持っていた。しかし、今回の津波によりその「漁場」も奪われてしまい、多くの漁民が仕事を失った。津波が発生すると海底の毒を持つ藻が巻き上がり、その藻を魚が餌とするため、魚自体に弱神経性の毒がまわってしまうのである。「プーケット産の魚」といえば津波以前までは良質な魚の代名詞のような感じであったが、今となっては正反対になってしまった。皆がプーケット産の魚を避けているし、売られてもいない。
しかし、本当に被害を受けたのは一部の海岸地域だけで、プーケットの内陸は殆どが無傷である。ごく一部の被害だけが大きく報じられる現状では、プーケット島全てが甚大な被害を受けているように感じられるがそうではない。事実、津波の後にバンコクに住む私のところにも安否を確認する連絡が入ったが、勿論何の被害も影響も無かった。
タイ、特にバンコクは地震がまず無い都市である。その為、津波に関する知識がタイ人は殆ど皆無であった。「ツナミ」という言葉自体が大津波の後に新規タイ語となった位である。タイにおいて「ツナミ」は今まで存在しなかったのである。津波当日、タイの地元ニュースでは「ツナミ」と表現出来ず、そしてワケも分からず、ただの「洪水」や「鬼の波」と空しくニュースを伝えていた。災害発生より2,3日後になって「ツナミ」という表現がやっと出てきて、テレビの番組内で一生懸命、津波の発生メカニズムについて勉強しているのを目にした。
この災害のためタイは全国で年末年始にかけて喪に服し、例年のようにキラキラと賑わう事の無い寂しい年明けであった。鳥インフルエンザや、南部イスラム原理主義によるテロ、そして年末の大津波と、タイにとって2004年は暗い一年であった。今年こそは明るい年であって欲しいとつくづく願うばかりである。
さて、早速、プーケット島では観光客用なのか、津波のプリントTシャツが発売されている。絵柄はかの有名な葛飾北斎の浮世絵富嶽三十六景“神奈川沖浪裏”(大波をモチーフにしたもの)をコピーしたもの。やはり、タイ人の商魂はたくましく、そして、前向きであった。
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