<Chapter4> 独自のコンセプトで名声を上げた料理人 ポール・エーベルラン
Paul Haeberlin(1923〜) ジャン=ピエール・エーベルラン
Jean-Pierre Haeberlin(1926〜) マルク・エーベルラン
Marc Haeberlin(1954〜)
イル川の川面に美しくレストランが映える
1880年頃に、エーベルラン一家はイル川にかかる橋のたもとに『アルブル・ヴェールArbre
Vert(緑の木)』という名前のレストランを開きました。それから50年余り、この『アルブル・ヴェール』は地元の人が気軽に食事をする店としてこの地に根をはり続けていました。ポールとジャン=ピエール兄弟は、母と伯母がきりもりするこのレストランの生まれです。ポールはこのレストランで働く母や叔母の傍らで料理を始め、その後『ラ・ペピニエール』(ヴォーヴィレ)、『ラ・ロティスリー・ペリグルディーヌ』(パリ)などで修業。一方ジャン=ピエールは美術学校に学び、建築家を志します。第2次世界大戦中に戦災にあい閉店していた店を『オーベルジュ・ドゥ・リルAuberge
de l'Ill 』の名で再開。
ギー・サヴォワ
Guy Savoy(1953〜) 1953年ヌヴェール生れ。少年時代をドフィネ地方のブルゴワン=ジャリューBourgoin-Jallieuで過ごします。その地で彼の母親は『レスプラナドL'Esplanade』と言う小さなレストランを営んでいました。1970年〜3年間トロワグロで見習をし、73年『ラセール』、75年ジュネーブの『リオン・ドール』、76年『ロアジス』、そして77年『バリエール・ド・クリシー』で初めてのシェフの座を得ます。1980年独立、その後評判を呼び手狭になり、現在のトロワイヨンに移転(約100席)、他の3ツ星レストランに先駆けて88年にはセカンド・ブランドとしてビストロを展開、現在4店舗を所有。そして2002年には念願の3ツ星を獲得しています。
バターや生クリームをあまり使わない素材そのものの風味を引き出すロワゾー・スタイルの料理で見事にその目的を達成。1991年念願の3ツ星を獲得。幸せいっぱいのあの笑顔は忘れることができません。パリにビストロやスーパーなどの惣菜、TV出演と多面的に活躍するものの、オーナーはいつも店に居ることがポリシーのロワゾー。いつ訪れてもまず彼の姿を目にしなかったことがありませんでした。スペシャリテのカエル料理、的鯛の料理は何度食べても美味しかったものです。2003年2月24日、突然の自害。あれから1年半。未亡人とかつての彼のスタッフ達が店名を変更し、『ル・ルレ ベルナール・ロワゾーLe
Relais Bernard Loiseau』として3ツ星を守っています。
マルク・ヴェイラ
Marc Veyrat(1951〜)
フランスとスイスとの国境に近いサヴォイ地方で生まれました。両親はこの地方を原産とするチーズ“ルブロション”を製造していました。彼自身も幼少の頃から羊飼いを手伝っていました。この地方には素晴らしい野草や薬草があります。彼の祖母はその草を見分けることに長けていました。師匠を持たないヴェイラは調理師学校を卒業すると3年間パティスリーで仕事につき、その後すぐにシンプルなオーべルジュを開業します。そこではサヴォワ料理の“ラクレットRaclette”や“ピエラード”を提供していました。このオーべルジュの経営を8年間続けた後、事業拡大のために店を売り、パートナーを見つけ、1984年、アヌシー湖畔に『オーベルジュ・ドゥ・レリダンAuberge
de L'Éidan』という店名で新たにレストランを開店します。このレストランは1994年にミシュラン3ツ星を取得、この頃から羊飼いの大きな帽子をかぶり登場するようになってきました。
右手前が、苔のムース
2000年にはメジェーブに冬場だけの『ラ・フェルム・ドゥ・モン・ペールLa
Ferme de mon Père』をオープン、そして合計6ツ星のオーナーとなります。2007年現在『ラ・フェルム・ドゥ・モン・ペール』は売却しました。
ハーブをたくさん使い、また科学的に分析したエル・ブリ風の料理も提供しています。中でも“苔のムース”は世界が驚いた料理と言えるでしょう。
ある日、食事が終わり、外に出た時に壁に書かれた文章に目がとまりました。「La cuisine du XXIe siècle, c’est
un mariage d’amour entre la nature et les cultures universelles
sans oublier ses racines. (21世紀の料理、それは自然と全世界にひろがる文化の恋愛結婚。決して生まれ故郷を忘れることなく)」。