今から36年前、日本の経済成長の大きなターニングポイントとなったイヴェント、日本万国博覧会が大阪で開催されました。大阪府吹田市の大阪万国博記念公園には今も
この万国博のシンボルであった太陽の塔(岡本太郎作)が残されていますが、この塔を 見るたびに、今も当時の様子がまざまざと思い浮かんできます。
この万国博を境に日本人の味覚が一変したのは疑う余地のないところです。当時私はフランス館で働いていたのですが、毎日おいしいまかない料理を食べながら、こんな料理を食べている人たちの国はどんなに裕福ですばらしい国なんだろうと思いを馳せていました。またオリンピック、万国博をきっかけに「本場の味」が意識されるようになり、ヨーロッパへ料理、お菓子の研修に赴いた人は数知れないと思います。私も例にもれずその4年後、憧れのパリではありませんが、リヨン(フランス第2の都市)で研修ができることになりました。
最初の研修先は『ベルナションBERNACHON』という菓子とチョコレートを専門に作っている店です(余談ですが、オーナーのベルナション一家は、リヨンで世界的に有名な三ツ星レストランを経営するポール・ボキューズ氏と姻戚にあたります)。『ベルナション』では、すべてが手作りで、私はここでフランスの製菓店におけるお菓子作りの基本を教わりました。基本生地の作り方はもちろんお菓子作りの重要な素材である、オレンジピールやフォンダン、マジパン、ジャム、フルーツの瓶詰め、プラリネなどにも及びました。ただ、幸か不幸か、いずれも作り方としては辻調の生徒だった時代に教わったものとかわることがなかったため、それを実践を通して再確認し、自分のものにするための研修だったように思います。
さらに、生活していたリヨンを拠点にドイツの田舎町オッフェンブルグOFFENBURG、大都会のハンブルグHAMBURG、オーストリアのインスブルックINNSBRUCK、イタリアのミラノMILLANとヨーロッパのお菓子を学ぶために研修(放浪?)生活を送ることになりました。行った先の店で次の店を紹介され、また次で……と点々としていたので、学校では一時、行方不明のうわさも流れたそうです。ふり返って見ると、お菓子作りだけでなく、人と人のつながりや、各国の文化の違いなど、いろいろなことを学ぶことができた期間でもありました。この時代のことは、今でも私の大切な財産です。
そしてもちろん、この研修期間中に、数々の新しいお菓子を学んだのですが、その中で一番の目玉、私がなんとしても学び取りたいと思っていたお菓子があります。それはリヨンから南へ約30キロメートル、ローマ時代の遺跡を配した小さな町ヴィエンヌVIENNEにあるレストラン『ピラミッドPYRAMIDE』のスペシャリテ、幻のお菓子と呼ばれる“ガトー・マルジョレーヌ”です。
なぜ、片田舎にあるレストランのお菓子を学ばないといけないのかと疑問を抱かれることと思いますが、ここは、現在フランス料理の大御所と呼ばれるポール・ボキューズ氏を筆頭にトロワグロ兄弟など三ツ星レストランのオーナーシェフを続々と輩出した学び舎だったのです。そして彼らが教えをうけた人こそが、そのレストラン『ピラミッド』の主人兼料理長、フランス料理の神様とまで言われたフェルナン・ポワンFERNAND POINT
(1897-1955) です。
「すばやくおいしい料理を。温かいものは温かい状態で、冷たいものはより冷たい状態で。」ポワンの料理に対する考え方の基本のひとつです。今では当たり前のように思われますが、その当時には画期的なことだったのです。そしてこのレストラン『ピラミッド』で提供されているお菓子はさらに革新的で、凡人では思いつかない発想が含まれていました。
その頂点ともいえるのが、“ガトー・マルジョレーヌ”なのです。ポワンが活躍した20世紀初頭には、まだフランスの製菓店やレストランでは使いこなされていなかった生クリームをたっぷり使ったお菓子で、デザート菓子に新しい息吹を与えました。
“ガトー・マルジョレーヌ”は、まずダコワーズやジャポネーズ、あるいはシュクセとよばれるメレンゲ生地を作ります。メレンゲを固く泡立て、コクをつけるために香ばしく焼いたナッツの粉末を加えていきます。本来であればここで軽くふんわりと焼き上げるべきメレンゲ生地を“ガトー・マルジョレーヌ”の場合、無造作に気泡が完全に壊れて流れ落ちる状態まで混ぜ合わせてしまうのです。これはまったく驚きでした。考えてもみてください。苦労してやっと泡立てたメレンゲを潰そうと誰が思うでしょうか。しかもそれをごく薄い板状に焼き、乾いて固くもろい焼きたての状態のままワイン庫に数日寝かし、しんなりと口溶けのよい生地に生まれ変わらせるという手間と時間をかけるのです。
この生地の間にはさむ生クリームにも、考えられない技術を彼は盛り込んでいます。生地のコクに味が負けないように、また口溶けのよい状態に固めるため、溶かしバターを冷たく泡立てたシャンティイクリームに加えるのです。本来であれば、なめらかで、見た目にきれいになるようゼラチンや寒天、最近であれば各種凝固剤を用いて固めるところをバターを加えてクリームを固めたのです。これもまた当時は誰も思いつきもしないことでした。
溶かしバターを生クリームに加えることによってコクが増し、適度に、口溶けのよい固さの生クリームになります。そしてその下の段にはさむガナシュは、さらに全体の味を引き締め、お菓子全体の味をまとめています。
精密な計算の上に作られたこのお菓子が“マルジョレーヌ”なのですが、残念ですが、レストラン『ピラミッド』は現在は経営者も変わり、本当に幻のお菓子になってしまいました。
また、最近のプリンブームの中のひとつに飲めるようにやわらかいプリンが絶賛されているようですが、同じようなものが90年近く前に、ピラミッドではとっくに作られていました。“ポ・ド・クレーム Pot
de crème” といいますが、これも絶賛すべきデザートだと思います。“ポ・ド・クレーム”は、カスタードプディングと同様の生地を器に流して蒸し焼きにしたデザートで、器ごと提供するものです。もとはといえば、ごく家庭的なものですが、それが素材や配合の妙というのでしょうか、最高級の料理を出すレストランのデザートとして調和していました。
フェルナン・ポワンは、残念なことに若くして亡くなりました。20世紀後半まで長生きしていたならばフランス料理の世界はもちろん、洋菓子の世界ももっと変わっていたかもしれません。とはいえ、彼の偉業は弟子たちを通じていまも脈々とフランスの料理界に受け継がれているのです。
*フェルナン・ポワンと彼のレストラン「ピラミッド」について詳しくは『これがフランス料理だった フェルナン・ポワンと美食の殿堂ピラミッド』 を参照。
*参考レシピ:ガトー・マルジョレーヌ
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