さて、ソーヴィニヨン・ブランには、以上の説明とは、ちょっぴり別系列に属する一群のワインがある。
ボルドー大学のデュブルデュー教授と、日本人研究者の富永敬俊博士が指導している「チオール」という成分に注目してつくられたワインたちだ。
チオールとは、アルコールと硫黄分子が結合した成分で、一番有名なのは、「おなら」の臭いとして知られるメルカプタンである。そのほか、汗臭い臭いやムレタような悪臭などにも関係するため、従来はワインにとってマイナスの成分だと思われていた。
ところが、上記の二人の研究者たちがソーヴィニヨン・ブランの品種香を分析するうちに、この品種から時に漂うことのあるピーマン系の香りとはちょっとニュアンスの異なるツゲの若葉(という形容をフランス人はしたがる。ツゲとは、ツゲ櫛などに使われる木で、生垣などでも見かけることの多い常緑樹)の香りや、グレープフルーツ、マンゴー、グァバ、パッションフルーツなどを思わせるトロピカルフルーツ系の甘い香りが、いくつかの特殊なチオールに由来していることをつきとめたのだ。
ちなみに、このチオールという物質は、銅の影響を受けると、たちまち香りを失ってしまうため、ワイン中の香りがチオール由来なのか、そうでないのかは、グラスのワインに、例えば磨いた十円玉を入れてしばらく振ってやるだけですぐに分かる。チオールに由来する香りは、たったそれだけのことできれいに消えうせてしまうからだ。
さて、そのような香りの新成分を見つければ、それを大切にしたワインづくりをしたくなるのは、研究者としては当然の人情である。
チオールが銅に弱い以上、畑でボルドー液を使わないほうがいいのは、自明の理だ。ボルドー液は、硫酸銅と生石灰の調合剤だからだ。(もっとも、ソーヴィニヨン・ブランという品種は、ウドンコ病やベト病に極端に弱いため、ボルドー液を使わないためには、他の防カビ・防菌剤を使用する必要がある。つまり、チオールを重視したソーヴィニヨン・ブランを「有機栽培」でつくることは難しいということだ。ボルドー液は、有機栽培で唯一認可されている農薬なので)。
葡萄果の中のチオール量が、最大になる時期を見極めての収穫も重要になる。そのための分析技法を開発したのが、他ならぬ富永博士である。
さらに、チオールは(というか、一般に香りやウマミの成分は)果汁よりも果皮の中に多く含まれているので、「スキンコンタクト」という技法が重要になる。葡萄を破砕した後ですぐに絞ってしまわずに、皮と種を低温下で果汁に一定時間浸しておくのだ。こうすることで、皮からの香りの成分を充分に抽出し、しかる後に圧搾し、発酵に入るというわけだ。(ただし、この方法をとると、ピーマン系の青臭い香りやエグミ成分等も溶け出しやすくなるため、畑では、あらかじめそれらの香りが少なくなるように、房そのものに陽光をたっぷり当てるための摘葉を強めに行なっておく必要がある)。
また、チオールは酸化に極めて弱いため、醸造・熟成中にも、酸化を防ぐ方法をとるほうが望ましい。ふたりが指導しているのは、発酵をいきなり小樽で行い、発酵後も酵母をオリ引きせずに、定期的にかき混ぜるという、古くからブルゴーニュ地方で行なわれてきた「バトナージュ」という方法である。酵母のオリには強い抗酸化作用があるため、チオールの酸化を防ぐことが出来るのだ。
こうして生まれたワインは、確かにトロピカル系の香りと心地よい若葉の香り、そして樽に由来する甘いヴァニラ香をあわせもち、間違いなく非常にチャーミングである。
しかし、ふたりが主張するように「チオールこそが、ソーヴィニヨン・ブランの本質であり、それ以外の香りは、品種本来の個性ではない」とまでいくと、どうかな、と首を傾げざるをえない。
この品種から伝統的につくられてきたワインに特有の、ライムからレモン、オレンジへといたる柑橘系の香りは、銅を入れても消失しないことからも明らかなようにチオール由来ではないし、(やはりチオールではないメトキシピラジンという物質に由来する)ピーマンを思わせる青草の香りも、決して欠点などではなく、ほどよく香る限りにおいて、間違いなくこの品種のワインに魅力的なアクセントを添えるものだ。
ふたりの功績は、「ソーヴィニヨン・ブランの本質を解明した」というよりも、「ソーヴィニヨン・ブランの新しい魅力と可能性を切り開いた」という位置づけにするのが、正しいように思う。本人たちがどう思うかは別として、それだけでも、間違いなく、ものすごく大きな功績だと、ぼくは思う。
☆
それはさておき、この品種からつくられるワインは、不思議なことに、滅多に熟成することがない。
ボルドーの100パーセント・ソーヴィニヨン・ブランの代表選手として知られる(ただしチオール系ではない)シャトー・マルゴーの白のように贅沢に樽熟成されたワインや、サンセール、プイィ・フュメの老樹からつくられた凝縮感あふれる最上級品の場合には、10年や15年はふつうに「もつ」。
しかし、その「もつ」の中味は、「鋭い酸が多少柔らかな口当たりになったかな」といった程度のことで、それを「熟成」と呼ぶべきかどうかには、首を傾げたくなる。熟成というよりも単に「長持ちする」という表現のほうが、正しいように思う。
更にチオール系のワインの場合には、歳月がマイナスに働く例も、時に見かけられる。
チオールという物質群は、どうやら熟成中にさまざまな化学変化をおこすようで、ひどい場合には、腐ったタマネギや、焼けたゴムみたいな悪臭を漂わせ始めることさえあるのだ。(そういう悪臭は、10円玉できれいに消えるので、チオールの変化したものであることは、間違いない)。
というわけで、伝統的なソーヴィニヨン・ブランであれ、チオール系であれ、この品種からのワインは、あまり長く寝かさないほうがいい。
☆
ただしそれは、あくまでも「ソーヴィニヨン・ブラン100パーセント」のワインに限ってのことである。
前述したように、ボルドー地方では、純粋にソーヴィニヨン・ブランでワインをつくることは滅多になく、通常は、セミヨン種やミュスカデル種と混醸されている。
この内、ミュスカデル種は、単に若い内にチャーミングな果実味をそえるだけの品種だが、もうひとつのセミヨンは、非常に重要である。この品種は、若い内にこそ、なんとなくボンヤリした、しまりのない印象の酒になりがちだが、熟成するとまろやかで、かつ独特の香ばしさを秘めた非常に複雑で深みあるワインに変貌する。
ただし、この品種も、単独でいいワインになることは滅多にない。本質的に酸味には恵まれない葡萄のため、どうしても爽やかさとみずみずしさに欠けるワインになりやすいのだ。
つまり、ボルドーの伝統的な長期熟成型白ワインは、熟成ではじめて真価を発揮するセミヨンと、熟成力には欠けるものの、爽やかな酸味が長く変化しないソーヴィニヨン・ブランとが、ともに欠点を補いあい、長所を伸ばしあうことにより、誕生するのである。
ここで、ひとつの問題が起こる。
さきほどの、「チオール重視型」のソーヴィニヨン・ブランである。
せっかくセミヨンとブレンドしても、チオール系のソーヴィニヨン・ブランの場合には、先にも触れたように、歳月がマイナスに働く場合がある。
もちろん、全部が全部ダメになると決まったものでもないのだけれど、何年にもわたってたっぷり期待したあげくに、この世のものとも思えない悪臭に見舞われるのは、どう考えても幸せな体験とは言いがたい。
ボルドーの伝統的な白(特にグラーヴ地区の優れたシャトーもの)を買った人間は、当然のように10数年の熟成を期待しがちなのだけれど、あらかじめチオール系のワインだと分かっている場合(つまり、デュブルデュー教授たちのコンサルタントを受けているワインと分かっている場合)には、あまり熟成を期待せず、さっさと飲んでしまったほうが、無難だということだ。
☆
ちなみに、熟成型ボルドーの代表というべきシャトー・オー・ブリオンの古酒には、体のすみずみにまで優しい熟成香が沁み渡っていくような、いわく言いがたい魅力がある。
☆
パヴィヨン・ブラン・デュ・シャトー・マルゴー
かのシャトー・マルゴーがつくっている白ワイン。ボルドーにおけるソーヴィニヨン・ブラン100%ワインの走りと言っていいだろう。発酵を小樽で行うところまでは、デュブルデュー教授の方法と共通しているが、香りの傾向としては「チオール」をほとんどまったくと言っていいほど尊重しておらず、柑橘系の爽やかな酸味と青草の香り、そして贅沢な樽香を風味の柱にしている。力強く余韻の長い風味は、多くのワインファンを魅了しているが、デュブルデュー教授はボロクソに批判している。なんだかなぁ、と思わないでもない。
クロ・フロリデーヌ
デュブルデュー教授が所有しているシャトーからのワイン。セミヨンとの混醸品だが、教授が目指しているワインがどういうものなのかを、典型的に楽しませてくれる。チオール由来のトロピカルフルーツ系の甘くチャーミングな香りと、ツゲの芽を思わせる若葉の香りが爽やかに香りたち、ヴァニラや炙ったナッツなどを連想させる樽香との調和も素晴らしい。3000〜4000円という価格も考えると、見事と言う他はない。ただし、熟成はあまり期待しないほうがいい。
文
山田 健
(やまだ たけし)
1955年生まれ。78年東京大学文学部卒。
某洋酒会社が刊行している「世界のワインカタログ」編集長。
86年に就任して以来、世界中の醸造所めぐりをし、
年間2000種類以上のワインを飲みまくる。
著書に「今日からちょっとワイン通」「バラに守られたワイン畑」(共に草思社)
「現代ワインの挑戦者たち」(新潮社)他がある。
辻調おいしいネット「コラム&レシピ」内の
『今日は何飲む?』
というコラムにて、
「今日は何飲む?」野次馬隊リーダーとして参加。
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